hochinodake

おはよう のあと、おやすみ のまえ、こんなことを話したい。

インスタ、アカウントが消えたよ。

 わたしが高校2年生の終わり頃、テスト勉強からの逃避で作ったインスタグラムのアカウント。ひと月ほど前に不具合を起こし、そのまま、一瞬で思い出を真っ黒に塗りつぶしてさっさとあと腐りなく去っていきましたよ。彼女はとてもスッキリしたようすで、去っていく背中をわたしは少しのあいだ眺めていた気がします。追いかけようか迷った気がします。でも、伸ばす手はそこまで伸びなくて、肘は軽く曲がってたかな、もしかしたら手は握っていたかもしれない。bellflower711。このユーザーネームは世の中への少しの反抗でもあった。自分を誇る思いでもある。わたしはユーザーネームを迷わなかったし、一度も変えることはなかった。bellflower711とわたしの関係を、他にわかってたまるかと思いつつも、このわたしたちの、半熟卵を崩したときみたいな、さらにカレーに馴染んでいくその流れみたいな、残酷で艶やかな関係を、わたしの中にケリをつけるためにも外に出しわたしの中で守り続けなきゃならないと思っているのです。救ってやりたい。あの頃のわたしも、今のわたしも、今どこにいるのbellflower711。だいすきだよ。

 わたしの好きな人は、わたしのSNSの使い方にかなり敏感だったように思う。彼にとってbellflower711はわたしの装いで、もっと言えば顔で、いやもっと言えばホンモノだったのかもしれない。これって結構大迷惑で、bellflower711(めんどいので以降ベルフラ)はわたしの雑魚寝、結構荒めの鼻息、ヨダレの跡。薄くなった御パンツ。穴が空いた靴下。そこから覗く親指ね。そんなものなのですよ。それに理解を示さない彼とはもう長くないだろうなと思いながら、わたしはベルフラで雑魚寝をすることをやめたのです。上下お揃いのパジャマを着て、パンツ、いやパンティ、いやショーツ、レースふりふりの。毎日天日干ししてるマットレスに毎日洗濯してるシーツ、きれいな毛布。雑魚寝できなくなったわたしはたいへん暴力的な思考に走り、綺麗な言葉で彼を罵り友達を馬鹿にしていたのです。当時そんなつもりはなかったのだけれど、今になって思えばあれは相当酷いことだったように思います。

 模試会場から抜け出し鴨川で冷たいごはんに温かいビーフシチューをかけたあのとき、あれだってみんなへの当てつけだった。わたしはウイルスの温床、こんな乾燥した暑すぎる狭苦しい部屋で、隣の他人に肘が当たるのを気にしながら縦長の丸を塗り潰しやすい鉛筆を抱えて机に向かわないわよ。トイレに行くフリをして友達を探して、暗号のように番号を言い合うの。冷たいごはんに温かいビーフシチュー、そのときわたしを救ったのはベルフラだった。彼とわたしが別々になって、そもそも別々だったのだけれど、同一だという勘違いをずっとしていて、やっとその呪縛から逃れてからはベルフラはわたしの鎧になった。ベルフラはわたしを強くしてくれたけれど、わたしとベルフラしか知り得ないところでわたしはすきな人の名前を何度も検索欄に登場させ、ベルフラに抱えさせた。検索欄にいつまでも残り続けるその名前はひとつではなかったけれど、そんなことをしても腰が痛くなるだけで、頭が痛くなるだけで、変な勘違いをベルフラにさせてしまうだけで、その勘違いはベルフラからわたしに移り、わたしは何かをどうにか勘違いしているような感じだった。その度に心は空虚になり、いつしかベルフラを通して見る世界がわたしのほんとうになってしまっていたように思う。

 今でも大切な友達だって、ベルフラを通して出会った人ばかりです。

 死にたいと思ったとき、これ死ぬなって思ったとき、やっぱ死にたくないよと思ったとき、好きな人とメッセージをやりとりしたとき、なわとびを投稿した日々、わたしはベルフラをたくさん殴ったよ。酷い言葉で多くの人を傷つけた。

 検索履歴に好きな人の名前を並べて、それをやっと消すことができたとき、ベルフラはどんな気持ちだったんだろう。ずっと抱えてくれてた。わたしの汚い心も、かわいい心も、ベルフラは何も言わずにずだと大事に抱えてくれていたんだよ。

 

でもやっぱりベルフラはわたしに雑魚寝をさせてくれなかった。綺麗な言葉で他人を罵るわたし。優しくない言葉を優しいと言わせた。これってほんとうに酷いことだよ。

 ベルフラはわたしの前から煙のように消えてしまった。ふわふわと目の前を漂うように感じるけれど、わたしはベルフラを掴めない。煙になったベルフラは、もうまぼろしで、触れようとすると消えてしまう。ベルフラは、わたしを捨てて、自分を捨てて、わたしに新しい寝床をくれたよ。

 

わたしとベルフラしか知らないいろいろを、わたしはもう忘れてしまった。ベルフラも忘れてしまえばいいと思う。