hochinodake

おはよう のあと、おやすみ のまえ、こんなことを話したい。

2022.4.1

日々は凪がねーよ凪ぐことはねぇよってでも希望を語りたいってだから映画作るんだよってマイラブが言ってて、そん時は泣いて頷くしかできなかったんだけど気づいた。凪がない日々も愛せばいんだよね。悲しいことも辛いこともある。いじめも差別も戦争も、なくなんないね。生まれた命も、なくなった命もある。誰かを死なせてしまった人もいる。真反対の、同じってことないからたぶん反対もないんだろうけど、見た目反対に見えるようなことも似たことも同時多発的にポコポコ爆発してる中で自分の命は、自分の命を保つ以外の何の役にも立たなくて嫌になる。でも、毎日寝る前に、そんな自分をよしよしする。わたしの命が今日も生きて、生きてるわたしを見てくれてる人がいて、母なんか赤ちゃん見るみたいな目でわたしを見てにこにこ笑って、目のまわり赤くして腕広げて近づいてくる。当たり前にぎゅ!としてくれて、そうやって、愛してあげる。お母さんに、よしよししてもらう。悲しい思いも理不尽な思いも全部、丸ごと抱きしめて、愛してあげたい。

小学校2年生の頃、祖母が言ってた「置いてけぼりになってる気持ちを拾ってあげられる人」。道に落ちてるゴミをひとつ拾ったら限りなく続くゴミ拾い。誰かに手を差し伸べるって無責任だなんてカッコつけて言ってたけど、ほっちは今世の中を幸せにしたい!とか長々と御社に向かって語ってます。ほんとにそう思う。

みんなの日々が粒々でも凸凹でも荒波でもなんでも、いっしょに丸ごと愛せますように。愛するって我慢するって意味でも逃げるって意味でも目を背けるって意味でもなくて、ただほんとに、母の膝の上に頭を乗せるようなことで、ちょっとジャンプしてみたりするようなこと。そんな時間を持てますように。