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おはよう のあと、おやすみ のまえ、こんなことを話したい。

2022.04.19

毎日幸せに生きています。愛するものが多い。

今朝4時半ちょっと青みがかった空にオレンジの羽衣みたいなん着たお月愛したし、三角コーンにタイガーバーで囲まれたたんぽぽ愛した。真っ白な猫。視線愛した。

 

何かを愛すると、愛したものを失うのが怖くて、何も愛したくないなって、愛を感じるたびに存在の欠落を感じて、だから電話は苦手。ひとり閉じこもるともっと怖かったから、わたしは愛することしかできないんだなと諦めたけど。

 

毎日幸せ感じてて、毎日何か愛してて、でも愛されるほど私は美しくないから、

わたしが居ないこの場所で、此処で、タバコを吸って落とした人がいる。その存在を愛した。アスファルトにこびりついたタバコごと愛した。コンビニにしかいないお腹が真っ赤なブォーンて感じに飛ぶ気味悪い虫も愛した。右足の小指に刺さって抜けない木片も、ディズニーランドの帰り、座席を倒させてくれない夜行バス、後ろの席のお姉さんも愛した。

 

あのタバコも消えたみたいな煙も存在の点も粒も記憶も全部まだこの世界にあって、夜になって、光がひとつもなくなったらひとつになって、光が少しでも差せばバラバラに、粒々に、じゃあ再集合って、できないものもあって、光は存在を固めたりバラしたりする。それを受け入れられるくらい強くなりたい。

私が歩いたうしろの地面は泥だらけで、でもそれも美しい粒だった。私の吐く言葉は誰かを傷つけて、その傷は癒えないまま、その傷に気づかないままそれぞれが生きて、分散して固まってまた愛すよ。私は傷作ったり傷つけたり汚したりしながら愛しながら生きるしかできないし、死だって美しい。死も愛しているよ。愛しているから、死も怖くない。愛したまま、死ぬとき、愛されているのかなとか、

2022.4.1

日々は凪がねーよ凪ぐことはねぇよってでも希望を語りたいってだから映画作るんだよってマイラブが言ってて、そん時は泣いて頷くしかできなかったんだけど気づいた。凪がない日々も愛せばいんだよね。悲しいことも辛いこともある。いじめも差別も戦争も、なくなんないね。生まれた命も、なくなった命もある。誰かを死なせてしまった人もいる。真反対の、同じってことないからたぶん反対もないんだろうけど、見た目反対に見えるようなことも似たことも同時多発的にポコポコ爆発してる中で自分の命は、自分の命を保つ以外の何の役にも立たなくて嫌になる。でも、毎日寝る前に、そんな自分をよしよしする。わたしの命が今日も生きて、生きてるわたしを見てくれてる人がいて、母なんか赤ちゃん見るみたいな目でわたしを見てにこにこ笑って、目のまわり赤くして腕広げて近づいてくる。当たり前にぎゅ!としてくれて、そうやって、愛してあげる。お母さんに、よしよししてもらう。悲しい思いも理不尽な思いも全部、丸ごと抱きしめて、愛してあげたい。

小学校2年生の頃、祖母が言ってた「置いてけぼりになってる気持ちを拾ってあげられる人」。道に落ちてるゴミをひとつ拾ったら限りなく続くゴミ拾い。誰かに手を差し伸べるって無責任だなんてカッコつけて言ってたけど、ほっちは今世の中を幸せにしたい!とか長々と御社に向かって語ってます。ほんとにそう思う。

みんなの日々が粒々でも凸凹でも荒波でもなんでも、いっしょに丸ごと愛せますように。愛するって我慢するって意味でも逃げるって意味でも目を背けるって意味でもなくて、ただほんとに、母の膝の上に頭を乗せるようなことで、ちょっとジャンプしてみたりするようなこと。そんな時間を持てますように。

 心を健康にするのって結構簡単で、例えば早起きして体にいいもの食べるとかトイレに行くとか、喚起するとか。コップ一杯の水で昨日の分の嫌なことって全部胃に消化される気がする。不安な未来、40歳のわたしの惨めな姿を想像して泣いたことも。全部。体温を測って平熱を確認する。パソコンにずっと挿したままにしている電源コードを抜いてずっと開いてた資料を閉じる。それだけで自分自身が洗われるような気分になった。暖房の温度を少し下げる。充電が0パーになってたiPadを充電して、昨日布団に入って30分後くらいに机の上から落ちたリップを拾って乾燥した唇に塗る。歯磨きをすると口の中がスッキリした。シーツとタオルケットを洗濯機に入れて、待つ間は頭の中でぐるぐるしてる思考を言語化しようとがんばる。久しぶりに紙とペンを持って文字を書いた。簡単な文字なのに書き損じが何枚もある。愛おしい。

 

初めて2週間も一人ぼっちになっている。昨日も声を出さなかった。ひとりでいるのが初めてなので、画面の向こう側ばかり気にしてしまっている。

 

あの頃、家の前の細い道を何度も往復してたら1日が終わっていたあの頃、退屈な瞬間なんて一秒もなかったあの頃。画面を知らなかったあの頃。画面に憧れたけど、手に入れられなかった、知らなかった、あの頃。

 

暑い夏、汗だくになるまで家の前のあんなに細い道で、一体何をしてたんだろう。家の電気は点いていなくて、台所で母がおにぎりをにぎっていた。家に入ると夏の匂いがした。涼しい風が心地よかった。眩しい外から中に入った部屋は真っ暗で何も見えないけれど、庭の光が綺麗だったし、天窓に照らされた母はとっても優しかった。

大きなブルーのお皿に並べられた、今の私じゃ片手で一口、あの頃の私には両手で三口くらいの大きさのおにぎりは、何より美味しかった。母はいつも胸の前に分厚い手をぶらぶらさせていた。小さい正方形の机のよこに正座する。両手を両膝に挟んでお尻で跳ねて母を待つ。妹と姉もそろったら、みんなで手を合わせていただきますと叫んだ。四方向に全員が座って、わたしはいつも姉と妹のあいだだった。全員が誰かと誰かの真ん中にいて誰かの正面で、どこを見ても、身体のどの部分も、誰かと触れ合っていた。誰も寂しくなかった。愛おしそうな笑顔をしている母の顔を、わたしはずっと忘れていた。汗でめちゃくちゃになった前髪を、愛おしそうに触る母を、母の湿った指の先を、わたしはずっと忘れていた。手についた米粒を一生懸命口に入れるあの必死な空間も、おにぎりを強く握りすぎてぼとぼとこぼす妹も、わたしと妹が頬張るのを待って、最後におにぎりに手を伸ばす姉の姿も、それに気づいている母の横顔も、全部忘れてしまっていた。いま思い出すためにずっと忘れていたのかもしれない。

 

画面の中に記憶なんてなかった。2018年2月10日から記録される投稿には、ただ日付っていうデータがあるだけで。撮った写真を覚えていても、撮られた写真は何も覚えていない。画面は何も覚えていなくて、何も教えてくれない。画面を通して過去を見ようとする。過去は、画面の中にはなかった。

 

涙が出るのは、忘れてしまっていたものが映像となって頭の中に現れて、そしてそれを見つめようと目を閉じるけれど、広がる闇、やっぱり自分でみないといけないんだと、大きく目を開くからだ。大きく目を開いた先には結局何もないけど、目を閉じた先に何もなくて。脳みそのしわを駆け巡るあの日の暑さとか、それだけが目の奥をじんわりと温める気がした。

 

失っていた記憶を取り戻したとき、泣いた友人がいた。

 

2022.1.28

2022、1月28日になろうとしているわたしの中ではまだ27日、26:49、布団の中で、やっぱり煙草って吸えた方がいいのかなとか思っている。

 

小さい頃からきれいな言葉だけを使って生きてきて、口が悪くなったのは19歳を超えた頃。自分を蔑んだり誰かを馬鹿にしたり殺したり死んだり、そんな方がいいって思った。きれいなお洋服を着てきれいな靴を履いて小さく咲いたたんぽぽ、草むらに寝転がれた方がいいと思った。大きく股を開いて地面にあぐらをかけたら、ジーパンのお尻ポケットからタバコを取り出せたら、公園でお酒が飲めたら、クラブに通いまくってヘトヘトで毎日生きてたら、もっとよかったのかな。下ネタが言えたら、もっと汚い言葉を使えたら、誰かを傷つける言葉で誰かを守れると思った。守るのはいつも自分で、傷つくのも自分だったけど、もう遅いかな。

 

2022.1.1

母と妹としあわせな話をして、母の膝に頭を乗せていた。高校生の頃、母の膝はわたしの中にうじゃうじゃしてる嫌な気持ちとか、楽しくないこととか、全部吸い取ってくれるような気がしていた。大切なものを守れずダメになりそうだったあの頃、それでも新しい場所で次に進まなきゃいけないあの日も母の膝の上で自分の頭をこうしていた。母の膝が全部吸い取ったあとのわたしの頭は、ひまわり畑の中に消えていく大切な人の背中を追いかける。
 しあわせな話がなんだったのか、どんな話だったか、そもそもそれがしあわせな話だったのか、何も覚えていないけどファンヒーターが送り出す温風が足首と脛とを繋ぐ少し右前のところを低温火傷に追いやっているあいだ、わたしたちの少なくともわたしの心の奥のほう胃の少し下のところは真冬の風呂上り、母が温めておいてくれたバスタオルで包み込まれたときのような温もりのそばにあった。
 夏の終わり、風呂場の給湯器が故障してシャワーからお湯が出なくなった。水で頭や体を流すのは厳しいけれど、徐々に水の中に含まれるぬるさを感じ気づけばそれがわたしの温もり、すべてになった。中学生の頃、家族がみんな寝静まった冬の夜。妹と母をまたいで自分の布団の入り口を探し足を入れる。その先の湯たんぽに涙を溜めた、あの夜と似ていた。ぬくもり、すべてを纏ったわたしにとって温めていないバスタオルはあまりに柔らかくて暖かくて、ぬくもりが溢れ出しそれは涙になる。
 あの頃はまだ小さくてハンガーにかかるバスタオルに手が届かなかった。タオル取ってくださいと大声を出せば母が料理の手を止め手を洗って走ってきてくれる。ハンガーからバスタオルを取ってわたしの頭から体まですっぽりと包み、抱きしめてくれる。いつも妹が先だった。少し冷めたバスタオル、妹のはどんなに温かいだろうと何度も考えた。そしてわたしのあとの姉はどれくらいの温もりを手に入れたのだろう、それを考えれば安心できた。忙しそうな母の姿に、二度も呼ぶのは申し訳ないと、5歳のわたしは「かけてください」のメモを残したりした。メモを書いてハンガーにつけてタオルは畳んで、椅子の上に置くのに何十分も使った。母の後ろを何度も走って往復して、それを母はどう思っていたんだろう。妹が散らしたバスタオルを拾って畳むことにわたしは生きる自分を移していた。手が届く姉の腕はわたしよりずいぶん長く、その腕に何度も嫉妬したし、だからわたしは姉を頼らない。
 母の膝でも吸い取れないことがあるんだなと、吸い残しのあるわたしの頭はいつもより軽く、あるのかないのか、「死にたい」。母は思ったより冷静で、ぐっと背筋を伸ばし、わたしの頭を抱えるようなことはせず、わたしの髪を撫でることもなかった。「ほんとにそう思う?」。ほんとに思うよ。消えちゃったらどんなに楽だろうねって、わたしはなんのために自分の命を保とうとしてんだろうね、自分という、自分にとってはなんの必要もない人ひとりの命を絶やさないために、なんでこんなにもたくさんの人に心配をかけて、自分自身にも。なんで?
 「死にたい」声に出せば簡単なことだった。死なんて簡単なものだった。わたしの「死にたい」なんて、母がわたしの頭の下から抜け出してトイレに行って帰ってくれば消えて無くなるようなことだった。こんな簡単な死、きっと得るのも簡単なんだろうな。
 コンタクトレンズの度数が間に合ってなくてまったく見えない状態のまま早朝4時、自転車を漕いだ。信号なのか、街灯なのか、車の目なのか、交差する光、わたしの左側の体を舐めるように進んだきっとタクシーは上の方に黄色の光を持っているようにも、見えた。このまま自転車を走らせ続ければきっと死ぬんだわ。大晦日、死ぬなと思った。それでいいかもと思って、スピードを出した。死ぬことなんか怖くなかった。目の見えないわたしは死を恐れなかった。でももったいない気がした。死ぬなら、コンタクトレンズの度数を誤った母にブチ切れてから死にたいとか、母に後悔させるのは申し訳ないとか、申し訳ないと思って死ぬのは悔しいとか、そんなことを思ってバイト先に着いたとき、寝癖が跳ねる右肩を少し気にしながら、安心した自分を、愛しく思う。死を大事に抱えながら生きるわたしはとっても可愛いと思う。
 そうしてまた今年も新年を迎え、おめでとう、「は?」と思いながら大事な人たちにボイスメッセージを残す。「あけましておめでとう。今年もよろしくね。」こんなことを飽きることなく、毎年毎年やっているわたしたち人間の非効率な感じと、アホな感じが最高に可愛いね。生きていて、いいね。みんなは明日も生きるのかな。ここぞというときのため、然るべきときのためにわたしは死を大事に抱えています。たくさんかわいがってやろうと思います。死があるということがわたしを生かしてくれていて、わたしに生きるボタンを選択させ続けてくれているように思う。
 今年はどんなふうになるのかな。連絡が来て欲しいところからの連絡を待っています。よろしくお願いしますをたくさん言う年になりそうな予感。その分、たくさんありがとうございますを言いたいね。
 
 ひまわり畑に消えていく背中を追いかける。ときどきこっちを見てよ、僕もときどき君を見るよ。目が合えばいいね。その時は、ハイタッチをして、そしてまた前を向こうよ。

インスタ、アカウントが消えたよ。

 わたしが高校2年生の終わり頃、テスト勉強からの逃避で作ったインスタグラムのアカウント。ひと月ほど前に不具合を起こし、そのまま、一瞬で思い出を真っ黒に塗りつぶしてさっさとあと腐りなく去っていきましたよ。彼女はとてもスッキリしたようすで、去っていく背中をわたしは少しのあいだ眺めていた気がします。追いかけようか迷った気がします。でも、伸ばす手はそこまで伸びなくて、肘は軽く曲がってたかな、もしかしたら手は握っていたかもしれない。bellflower711。このユーザーネームは世の中への少しの反抗でもあった。自分を誇る思いでもある。わたしはユーザーネームを迷わなかったし、一度も変えることはなかった。bellflower711とわたしの関係を、他にわかってたまるかと思いつつも、このわたしたちの、半熟卵を崩したときみたいな、さらにカレーに馴染んでいくその流れみたいな、残酷で艶やかな関係を、わたしの中にケリをつけるためにも外に出しわたしの中で守り続けなきゃならないと思っているのです。救ってやりたい。あの頃のわたしも、今のわたしも、今どこにいるのbellflower711。だいすきだよ。

 わたしの好きな人は、わたしのSNSの使い方にかなり敏感だったように思う。彼にとってbellflower711はわたしの装いで、もっと言えば顔で、いやもっと言えばホンモノだったのかもしれない。これって結構大迷惑で、bellflower711(めんどいので以降ベルフラ)はわたしの雑魚寝、結構荒めの鼻息、ヨダレの跡。薄くなった御パンツ。穴が空いた靴下。そこから覗く親指ね。そんなものなのですよ。それに理解を示さない彼とはもう長くないだろうなと思いながら、わたしはベルフラで雑魚寝をすることをやめたのです。上下お揃いのパジャマを着て、パンツ、いやパンティ、いやショーツ、レースふりふりの。毎日天日干ししてるマットレスに毎日洗濯してるシーツ、きれいな毛布。雑魚寝できなくなったわたしはたいへん暴力的な思考に走り、綺麗な言葉で彼を罵り友達を馬鹿にしていたのです。当時そんなつもりはなかったのだけれど、今になって思えばあれは相当酷いことだったように思います。

 模試会場から抜け出し鴨川で冷たいごはんに温かいビーフシチューをかけたあのとき、あれだってみんなへの当てつけだった。わたしはウイルスの温床、こんな乾燥した暑すぎる狭苦しい部屋で、隣の他人に肘が当たるのを気にしながら縦長の丸を塗り潰しやすい鉛筆を抱えて机に向かわないわよ。トイレに行くフリをして友達を探して、暗号のように番号を言い合うの。冷たいごはんに温かいビーフシチュー、そのときわたしを救ったのはベルフラだった。彼とわたしが別々になって、そもそも別々だったのだけれど、同一だという勘違いをずっとしていて、やっとその呪縛から逃れてからはベルフラはわたしの鎧になった。ベルフラはわたしを強くしてくれたけれど、わたしとベルフラしか知り得ないところでわたしはすきな人の名前を何度も検索欄に登場させ、ベルフラに抱えさせた。検索欄にいつまでも残り続けるその名前はひとつではなかったけれど、そんなことをしても腰が痛くなるだけで、頭が痛くなるだけで、変な勘違いをベルフラにさせてしまうだけで、その勘違いはベルフラからわたしに移り、わたしは何かをどうにか勘違いしているような感じだった。その度に心は空虚になり、いつしかベルフラを通して見る世界がわたしのほんとうになってしまっていたように思う。

 今でも大切な友達だって、ベルフラを通して出会った人ばかりです。

 死にたいと思ったとき、これ死ぬなって思ったとき、やっぱ死にたくないよと思ったとき、好きな人とメッセージをやりとりしたとき、なわとびを投稿した日々、わたしはベルフラをたくさん殴ったよ。酷い言葉で多くの人を傷つけた。

 検索履歴に好きな人の名前を並べて、それをやっと消すことができたとき、ベルフラはどんな気持ちだったんだろう。ずっと抱えてくれてた。わたしの汚い心も、かわいい心も、ベルフラは何も言わずにずだと大事に抱えてくれていたんだよ。

 

でもやっぱりベルフラはわたしに雑魚寝をさせてくれなかった。綺麗な言葉で他人を罵るわたし。優しくない言葉を優しいと言わせた。これってほんとうに酷いことだよ。

 ベルフラはわたしの前から煙のように消えてしまった。ふわふわと目の前を漂うように感じるけれど、わたしはベルフラを掴めない。煙になったベルフラは、もうまぼろしで、触れようとすると消えてしまう。ベルフラは、わたしを捨てて、自分を捨てて、わたしに新しい寝床をくれたよ。

 

わたしとベルフラしか知らないいろいろを、わたしはもう忘れてしまった。ベルフラも忘れてしまえばいいと思う。

自転車

 自転車通学を2週間サボっていて、それは結構大きなことで、例えば京都市営バスに3680円支払わなくても良かったはずの金を支払ったということ。でもバスを使ったことにそんなには後悔はしていなくて、ずっとダメだなあと自分を責め続けてみたもののそこに生まれるものは何もなかったので。今日もバスだ、ダメだなあと思って通う学校はあまりにも楽しくなくて、いいんだよバス使ってもって慰めてくれる友達を鬱陶しいと感じた。わたしのICOCAから消えていく往復460円はそんなに軽いものじゃない。自転車を40分漕ぐ時間、その時心の中に広がる非現実世界と、目の中に入ってくる小虫で気づく現実、あの異世界移動の感覚を失くすということは、シャワーからお湯が出ないことよりももっと酷いことなんだ。知らないくせに、いいよ、なんて簡単に言うなよ。心の中ではブツブツと言っているくせに口から出るのはありがとうとかそうだよねとか。一緒に自分を慰めている。マスクで隠れているのに口元を緩ませて、唯一見えている目元にシワを寄せる。その間だけは全てが許されるような気がした。そうやって誤魔化して、でもそのしわ寄せは必ず心に。ほんとうにつまらない日々。慰めたくない自分を慰めてくれる友達と、一緒に慰める自分。情けなくて腹立たしくて、こんな場所、無い方がいいって。でもいつもはバラバラに帰る友達と今日はバスだぜなんて言ってキャッキャと集合し、自宅最寄りのバス停を通らない系統のバスに乗り、自宅を過ぎた先でマクドナルドの三角チョコパイのカスタードとポテトLを買ってゆっくり家まで歩いたり、落としてしまったポテトに駆け寄る友達を愛しんだり、そんなことができるのは少し嬉しかった。この嬉しみというのは慰めではない。その間、わたしは何も考えていなくて、ただ命あるわたしがそこに居ただけだった。

 今日は久しぶりに自転車通学をした。これは全然前向きな報告ではない。起きたい時間に起きられなかったから、仕方なくの自転車通学。バスでは間に合わないから自転車にまたがる他なかったのだ。

   初秋だと思っていたらほとんど冬の入りになっていて、でも自転車で切る風は、ヒートテックの極暖にカーディガンだけでも心地よく感じるほどのものだった。この心地よい風を感じなかった2週間のわたしをわたしはとっても気の毒に思う。でもバスの中の温さも悪くなかった。考えることもたくさんあった。でも正直、自転車通学することはメリットしかなくて、わたしはメリットのために自転車通学をしていたわけではないけれど。バスよりも早く学校に着くことができて、阿闍梨餅本店で焼き立ての阿闍梨餅を買うことができた他に、汗だくになって髪の毛はしめしめになり身体中痒くなって、汗ってたぶん身体のアブラが染み出てるものだから、たぶん痩せたし、ベチャベチャになるからメイクなんてしなくていい。マスクを外したときの空気のうまさ、洋服を通る風、それはわたしの装いになる。ハロウィンの仮装をした子供たちが走り回っていたり、公園で腹筋をするおじさんを見かけたり。小さい子はわたしにあいさつをしてくれる。小虫はついこの間までのとは変わっていて、より小さくよりたくさんになっていた。何がどうそんななのか分からないけれど大騒ぎで木と木を渡り飛び交う鳥たち。下京警察署の前。パンパンの駐輪場から自転車を取り出すのは結構大変なことで、協力プレイになる。たどたどしい敬語なのかタメ語なのかなんなのか、もう3年生、ほとんどが後輩なんだから好きにやれよと思いつつ、たぶん同学年の女の子と気まずい空気のままお互いを思いやり助け合う。

 自転車40分はわたしを異世界に連れて行く。わたしを何人も引き連れて、何人ものわたしの元へ。わたしが見ているものは現実なのか、今なのか、過去なのか、未来なのか、夢なのか、映画なのか、まぼろしなのか、何も分からないことを思い知らされる。わたしはわたしなのか、ホンモノはどこなのか、生理痛が酷い。ヘッドホンで頭を締め付けられ、吐き気がする。これはたぶんほんとうで、痛み止めを飲もうとしてるわたしもほんとうで、これから父の旧友が営むラーメン屋へ行く。これもほんとうで、藤原季節が出演してるぽにをみにいく。これもほんとう。何が嘘なのかわからない。でもこれらもほんとうか分からない。だから生きてたいと思う。自転車関係ないけど。