hochinodake

おはよう のあと、おやすみ のまえ、こんなことを話したい。

2022.1.1

母と妹としあわせな話をして、母の膝に頭を乗せていた。高校生の頃、母の膝はわたしの中にうじゃうじゃしてる嫌な気持ちとか、楽しくないこととか、全部吸い取ってくれるような気がしていた。大切なものを守れずダメになりそうだったあの頃、それでも新しい場所で次に進まなきゃいけないあの日も母の膝の上で自分の頭をこうしていた。母の膝が全部吸い取ったあとのわたしの頭は、ひまわり畑の中に消えていく大切な人の背中を追いかける。
 しあわせな話がなんだったのか、どんな話だったか、そもそもそれがしあわせな話だったのか、何も覚えていないけどファンヒーターが送り出す温風が足首と脛とを繋ぐ少し右前のところを低温火傷に追いやっているあいだ、わたしたちの少なくともわたしの心の奥のほう胃の少し下のところは真冬の風呂上り、母が温めておいてくれたバスタオルで包み込まれたときのような温もりのそばにあった。
 夏の終わり、風呂場の給湯器が故障してシャワーからお湯が出なくなった。水で頭や体を流すのは厳しいけれど、徐々に水の中に含まれるぬるさを感じ気づけばそれがわたしの温もり、すべてになった。中学生の頃、家族がみんな寝静まった冬の夜。妹と母をまたいで自分の布団の入り口を探し足を入れる。その先の湯たんぽに涙を溜めた、あの夜と似ていた。ぬくもり、すべてを纏ったわたしにとって温めていないバスタオルはあまりに柔らかくて暖かくて、ぬくもりが溢れ出しそれは涙になる。
 あの頃はまだ小さくてハンガーにかかるバスタオルに手が届かなかった。タオル取ってくださいと大声を出せば母が料理の手を止め手を洗って走ってきてくれる。ハンガーからバスタオルを取ってわたしの頭から体まですっぽりと包み、抱きしめてくれる。いつも妹が先だった。少し冷めたバスタオル、妹のはどんなに温かいだろうと何度も考えた。そしてわたしのあとの姉はどれくらいの温もりを手に入れたのだろう、それを考えれば安心できた。忙しそうな母の姿に、二度も呼ぶのは申し訳ないと、5歳のわたしは「かけてください」のメモを残したりした。メモを書いてハンガーにつけてタオルは畳んで、椅子の上に置くのに何十分も使った。母の後ろを何度も走って往復して、それを母はどう思っていたんだろう。妹が散らしたバスタオルを拾って畳むことにわたしは生きる自分を移していた。手が届く姉の腕はわたしよりずいぶん長く、その腕に何度も嫉妬したし、だからわたしは姉を頼らない。
 母の膝でも吸い取れないことがあるんだなと、吸い残しのあるわたしの頭はいつもより軽く、あるのかないのか、「死にたい」。母は思ったより冷静で、ぐっと背筋を伸ばし、わたしの頭を抱えるようなことはせず、わたしの髪を撫でることもなかった。「ほんとにそう思う?」。ほんとに思うよ。消えちゃったらどんなに楽だろうねって、わたしはなんのために自分の命を保とうとしてんだろうね、自分という、自分にとってはなんの必要もない人ひとりの命を絶やさないために、なんでこんなにもたくさんの人に心配をかけて、自分自身にも。なんで?
 「死にたい」声に出せば簡単なことだった。死なんて簡単なものだった。わたしの「死にたい」なんて、母がわたしの頭の下から抜け出してトイレに行って帰ってくれば消えて無くなるようなことだった。こんな簡単な死、きっと得るのも簡単なんだろうな。
 コンタクトレンズの度数が間に合ってなくてまったく見えない状態のまま早朝4時、自転車を漕いだ。信号なのか、街灯なのか、車の目なのか、交差する光、わたしの左側の体を舐めるように進んだきっとタクシーは上の方に黄色の光を持っているようにも、見えた。このまま自転車を走らせ続ければきっと死ぬんだわ。大晦日、死ぬなと思った。それでいいかもと思って、スピードを出した。死ぬことなんか怖くなかった。目の見えないわたしは死を恐れなかった。でももったいない気がした。死ぬなら、コンタクトレンズの度数を誤った母にブチ切れてから死にたいとか、母に後悔させるのは申し訳ないとか、申し訳ないと思って死ぬのは悔しいとか、そんなことを思ってバイト先に着いたとき、寝癖が跳ねる右肩を少し気にしながら、安心した自分を、愛しく思う。死を大事に抱えながら生きるわたしはとっても可愛いと思う。
 そうしてまた今年も新年を迎え、おめでとう、「は?」と思いながら大事な人たちにボイスメッセージを残す。「あけましておめでとう。今年もよろしくね。」こんなことを飽きることなく、毎年毎年やっているわたしたち人間の非効率な感じと、アホな感じが最高に可愛いね。生きていて、いいね。みんなは明日も生きるのかな。ここぞというときのため、然るべきときのためにわたしは死を大事に抱えています。たくさんかわいがってやろうと思います。死があるということがわたしを生かしてくれていて、わたしに生きるボタンを選択させ続けてくれているように思う。
 今年はどんなふうになるのかな。連絡が来て欲しいところからの連絡を待っています。よろしくお願いしますをたくさん言う年になりそうな予感。その分、たくさんありがとうございますを言いたいね。
 
 ひまわり畑に消えていく背中を追いかける。ときどきこっちを見てよ、僕もときどき君を見るよ。目が合えばいいね。その時は、ハイタッチをして、そしてまた前を向こうよ。