hochinodake

おはよう のあと、おやすみ のまえ、こんなことを話したい。

愛されるということ

 高校受験から逃げて大学受験から逃げて今は就職活動から逃げてる。口ばっかり達者で、それと共にそれに追いつく無鉄砲さ行動力(と言えばよく聞こえるけどまぁ言うたらノリと勢い)のおかげでそれっぽい言い訳は十分すぎるほど揃っていて、誰かから後ろ指差されるなんてとんでもない、応援されたり褒められたり。自信あるフリ頑張ってるフリ納得してるフリ優しいフリ寄り添うフリ博愛精神?いや薄愛精神。自分にも友達にも家族にも初めて出会った人にも先生にも嘘を吐きまくりその罪悪感を背負っていながら正当化してくれる周りの人間の好意に甘えて現状肯定のフリ。自分ではずっと正当化できなかったことをうまく良いように言いふらして正当化してもらって、現状それでおっけーみたいな、そんな楽なことってなくて。そんなふうに辛くて寂しい現実から逃げて、大きめのナイフで、いや錆びたノコギリで手首につけた傷みたいな、もう消えない、もう剥がれない、嘘笑いと嘘の愛とを口の両端、目の奥、喉に刻んで生きてきたのがわたしです。もう誤魔化せない。血も出なかったこびりついた色々、かさぶたを壊して血を流させてあげたい。

 小さい頃から他人からの愛を感じるのが不得意だった。姉や妹に向けられる愛情が羨ましくて、そっちに気を取られていたらいつのまにかわたしに向けられる愛を見失い、孤独になった。ひとり殻に閉じこもって考え事をして家族にわめき散らかして、否定には応じない、肯定も受け入れない。共感すんな。話だけ聞け。どうだわたしは考えてる。ひとりで、自分と向き合って、答えを出すことができる。他人からの恩恵で、他人からの愛で成立する他の誰かたちとは違うんだ。そう思いたかった。ただ自分がそう思いたかったんだと思う。

 きょう、母親に肩を抱かれてたくさん泣いてしまった。もっと愛してほしいと言った。もっと触れてほしいと言った。(こんな恥ずかしいことってないと思う。)わたしはそんなに上手く生きれる人間じゃないし、頑張れてないし、ずっと逃げてる自分が嫌で、逃げた先に何かあると信じることしかできなくてそれがすごく不安で、なのに頑張ってると、うまくいってると、見せることでしか自分の存在を家族の中にうまく置くことができなくて。強がりを見抜いてよ頑張ってるフリを見抜いてよ。先週の金曜の朝、社会の仕組みの上に嘔吐してトボトボと歩いて帰ったことを、昼からの授業に出られなかったこと、何度もバスに乗って降りて運転手さんに料金要らんから降りなって言われたこと、素敵なお兄さんが席を譲ってくれたこと、玄関を開けた時、笑顔で迎えてもらえない寂しさ、靴を脱ぎながらマスクの中に充満する胃液の匂いを必死で消そうとしたこと、その時繰り返された深い深い呼吸、髪の毛を整えて、目に浮かぶ涙を目を擦らずに吸い取って、力強くわざと足音を大きく鳴らして、家族の中に入っていったこと。気づいてほしかった。金曜は、帰りはいつも17時過ぎること。なんで今日は昼過ぎに帰ってきたの。なんでメイクがそんなに崩れてんの。なんで脚がそんなにパンパンなの。帰ってきて手を洗うより先にうがいをした。気づいてほしかった。気づいてほしくなかったけど、気づいてほしかった。それが愛だと思ってたから。わたしが言うこと、わたしがやってること、全部正当だと思うことは、愛することの放棄だと、そんなことを母に言った。今バスの中で、母を傷つけてしまったことを後悔している。銀杏BOYZのBABYBABYを聴きながら。久しぶりに外で音楽を聴いた。

 母は泣いてるわたしに、たくさん愛してるよということをとても簡単に、とても優しく、とても分かりやすく、教えてくれた。愛してほしいと言えるくらい、愛されてることに気づいた。きっと、わたしは愛されてないんじゃなくて、愛せてないんだと思う。近頃のわたしは、周りにいる人間を何だと思って見ているんだろう。環境も、全部。わたしの世界、なんて言うけどわたしの世界はみんなの世界なんだよな。みんなの世界とわたしの世界が重なったところが色濃くなってわたしの世界に彩りを足す。いろんな人の世界、いろんなものの世界とたくさん重なることで、わたしの世界はより鮮やかになるはず。それを意識しちゃった途端、それは愛じゃなくなる。わたしの信頼する人はみんなわたしの壁になってくれた。わたしは壁に言葉をぶつけ、返ってきた自分の言葉に顔面を殴られ、たくさん怪我をしたし、たくさん気絶した。壁になってくれる人たちは、わたしを愛してくれてるはず。そんなこと分かってた。でもわたしは壁である以上、その人たちからの愛を感じなかったしわたしはその人たちを愛せなかった。愛されてないフリと愛しているフリは当然わたしの心をズタボロにしたけどどうでもよかった。わたし自身を後ろから見たとき、その後ろ姿はものすごく丸まってて可哀想で、すごく良かった。

 わたしに傷つけられたはずの母の顔を見ることができなくて、また逃げた。母はずっとわたしを抱いてくれて、でも謝らなかった。母は強いなと思う。母はこれまでの何も変わらない、確実な愛でわたしを抱いてる。きっとこれからも変わらないだろうと思う。母は傷ついたのに泣かなかった。すぐに泣く母が、泣かずに、子どもみたいに泣くわたしをただ抱いてちょっとだけ横揺れしただけだった。

 ずっとノリと勢いで生きてきたけど、あのときああしてなければ今こうじゃないもんな、ノリと勢い、あのときああしててよかったな、って軽く言った。母は、初めて泣いた。今、わたしがわたしを好きでいてよかったと言ってた。

 さすがに愛されすぎている。わたしはすてきな人たちに出会ったことで自分のこれまでをよかったと思えるようになっている。自分のことは一生好きになれないと思うけど、一生好きになろうと努力してて、そのそばに大切な人がいる。わたしを包む空気が、わたしはずっと愛しい。